こんにちは。
このブログを訪れていただきありがとうございます。
今回は、帰省中の『印象的だった体験』について、書いてみます。
「かわいそう」って言葉、
わたしは、ここ何年も、使えない(使ってこない)言葉だったのですが、
今回、帰省中に、母から、叔母から、わたし自身が数回言われることとなり、
考えてしまいました(苦笑)
(調和した帰省・・・となる前に、ほんのちょっとだけ、こういう学びがあったんです。笑)
「かわいそう」って、何で、そう思うんだろう?
ものすご~く ”不思議” で。
ものすご~く ”違和感” があって。
《昔は、当たり前に使っていたその言葉が、使えなくなった(使いたくなくなった)のは、
いつからだったっけ?》
と、考えさせられました。
厳密には覚えていないですが、
『他者はどう在ってもいい。という、宇宙意識で暮らすようになってから』
であることは、間違いないかと思います。
今回、言われたシーンは、
・わたしが「体が軽くなってとても楽♡」「痩せてはいるけれど病氣ではないので快適」と、さんざん話している状態で、
わたしの腕の細さを見た叔母が「こんなに痩せて、かわいそう」と言ったのと、
・わたしが「(ひとりで行きたいから)ひとりでドライブしてくる」と言ってる状態で、
母が「なんだか、ひとりで行かせるなんて、かわいそうで・・・」と言った2つのシーン。
※ひとりでドライブ・・・は、当然「アダムと2人きりでドライブしたい」の意です(笑)
叔母の言葉は、まだ、理解できても、
母の言葉は、”違和感” だらけでした(笑)
「なんで? ひとりで行きたいから行くんだけど、いったい、何がかわいそうなの???」
本当に、謎で(笑)
「ひとりで行きたいのは、わたし」だと、再度伝えて、
理解されたので、ひとりで(アダムと)出かけました。(笑)
今回、2回も「かわいそう」という言葉を言われたことで(違和感を感じたことで)
「これ、何を(何の投影を)見せられてる?」
「わたし自身が、この言葉を、言わない(言いたくない)ことの再確認?」
内観する材料となりましたよね・・・(笑)
わたしが、普段「かわいそう」という言葉を使うとしたら、
それは、自分の意思を表現できる状態にない人(幼い子供など)が、
自分の意思に反して(または、分かっていない状態で)、望んでいない結果に至ってしまった時に、使うような氣がします。
例えば、幼い子供が、車中に長時間置かれて『熱中症で亡くなる』とか。
そういう時に、自然と「かわいそうに・・・」という言葉は、出るかもしれません。
ですが、今回の2回のケースは、
自分の意思を表現できるわたしが「痩せて楽」「ひとりで行く」と、自らの意思を表現しているんです。
にも関わらず、それに対して「かわいそう」と来たのですから・・・(苦笑)
わたしからすると、母の物差し、叔母の物差しで測られての言葉に、
『違和感満載』なのです(笑)
改めて、ここで、「かわいそう」という言葉の意味を調べてみると、
『弱い立場にあるものに対して同情を寄せ、その不幸な状況から救ってやりたいと思うさま』
だそうで。
まさに、今回の”違和感”の元(笑)
わたしが望んで、
わたしが選んで、
いることを、
『不幸な状況』とジャッジされた。ということですから(笑)
わたしが、『宇宙意識』に開いてから、この言葉を自然と使いたくなくなったのは、
(顕在意識・潜在意識のどちらかであっても)自分で選択した結果として、そう在る人に対して、
『自分の物差しで勝手に相手を測って同情を寄せることが、とても失礼なこと』
だと、感じるからなんですね。
つまり・・・
勝手に『相手が弱い立場にある』と見下す(力の無い存在とジャッジする)ような行為に感じるから。
なんです☆
これは、以前、「相手を見くびるようで失礼です」と書いたことにも通じているかもしれませんね。↓
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「こんなこと言ったら、相手が傷つくから」という配慮(だと思っているジャッジ)は、
本当は、そんなこと言われても、まったく傷つかない(かもしれない)相手に対して、
見くびるようで、失礼です。(と、わたしは思います)
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まあ、そう見えてしまうとしたら、自分の内にあるものが、投影されてるだけ。
ですからねぇ・・・。
なんて、学びもありましたが(笑)
結果的には、この領域に至り・・・↓
母も、叔母も、わたしを「かわいそう」と見なすことは無くなりました♡
なんだか、ほんと、不思議な学びでしたね・・・(笑)
ここから、更に、先の学びに繋がってくのでしょうか?
今のところは、とくに浮上してませんが、
研ぎ澄ませておこうと思います。
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム
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