対極に必ず・・。

おはようございます。

このブログを訪れていただきありがとうございます。


今回は、昨夜書いた記事に関連して、『二極』に想うところを書いてみます。



昨日の記事で、


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アダムとの関係も、夫との夫婦関係も、いろんな人たちとの関係も・・もちろんそうです。


互いに100%を出し合ってこその調和。


仮に、表ではぶつかってるように見えても、加減なく100%を表現し合うのが調和なんですよね・・。


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なんてことを想っていたら、夫とのやりとりで現象化させた。と書きました。





きっかけは、わたしが、(先日)義姉妹と話してた内容を、夫にシェアしたことでした。


(詳細は割愛しますが)


夫が、「○○にそんな事いったら、都合よく解釈されるから、そういう事言わないほうがいい。○○に話すときは、話す内容を調整した方がいい。」みたいなことを言ってきたのです。


昔のわたしなら「ふ~ん」で流したかもしれません。




ですが、昨日は、想うがままに表現しました。(笑)


「なんで?どう受け取るか、どう解釈するかは、○○の自由でしょ?こちらが、相手の受け取り方にまで干渉したら、それはコントロールだよ。」




わたしがいつになく本氣モードで返したのにちょっと驚きながら、夫は、


「もともと依存的なんだから、依存を助長する。それは困る!」


と返してきました。




この夫の発言に、『夫の内にある設定(わたしが感じている真実とは違う)』を視て、

夫の感じ方はそうなのね。と、受け止めた上で、また続けます。




「依存させたくないというなら、過干渉をやめればいい話でしょう?△△の○○への関わり方は、コントロール以外の何ものでもない。毎日過干渉して、自立への学びを奪って、『依存するな』と裁くのはおかしな話。依存が成立するのは、依存させる相手がいるから。


(△△と○○は、夫の姉妹の2人。3人の関係性は幼少期から固定されたまま大人になりました。先月3人の間に起こった家族浄化も、ここに関するものでした。)




これに対して、夫は、納得したように反論せず。

(内容が腑に落ちて受け入れたようにわたしには見えましたが・・果たして?)

その後は、氣まずくなることもなく、普通に、日常を過ごしました。




このやりとりに、


・夫姉弟が、それぞれ、100%を表現することの重要性を想い、

・今回のわたしと夫のやりとりが、それぞれ、想うところを100%表現してのやりとりだったなぁ・・と、想い、


わたしの中に残った『清々しさ』を自覚しながら、確信します。




人類、ひとりひとりが、本質から100%を表現できたら・・・
それはまちがいなく『愛』起点の世界となり、大調和なのに・・・




わたしも、そこに向かうべく、だいぶ『表現』できるようにはなってきたものの、まだまだ・・

いつもいつも本質100%を表現できてるワケではないでしょう。

(だからこその、進行形の学び)




セッションなどでもお伝えしてきましたが、


「自分が○○との関係において傷ついた」という事実があったときに、


「わたしは、○○に傷つけられた」と捉えたら、○○は加害者となります。



自分を被害者にした時点で、加害者が生まれてます。

2極の世界ですから。

かならず、対極が発生してます。



「わたしが○○との関係において傷ついた」とあるがままに受け入れられていたら


「それは、魂の学び体験だった(相手はそのためのキャストだった)」というところで、終えられますね。



なんてことを考えた、昨日のやりとりでした。





『被害者&加害者を創り出さない(すべては自分自神が創造していることを腑に落としている)』ということに、以前のアダムとのやりとりを懐かしく想い出しました。


そのときの記事、シェアしておきます。



ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。


愛♡感謝

りかこ&アダム