わたしと母の『過去世ストーリー』

こんばんは。

このブログを訪れていただきありがとうございます。


今回は、ひとつ前の記事に続いて『母との魂ご縁』についてシェアします。


(※帰省中に書き降ろせなかった分、連投が続いています。)




ひとつ前の記事で、


・この両親に生まれた意味が、より深く視えてきた。

・それは過去世ストーリーに関係していた。


と書きました。




今回、母との関係に関与していたのは2つの『過去世ストーリー』で、


一昨年、アダムとの融合に向けて自己統合しておく必要のあった『過去世ストーリー』5つのうちの2つでした。



あのとき、ひたすらにひも解いてノートに書き溜めたことが、今の氣づきに繋がっていて・・・

あの作業のすべてが、ものすごい伏線になっていたことを想うのです。



『過去世リーディング』してくださった方には心より感謝いたします。



その『過去世ストーリー』とは、


・聖女

・コメディ女優


の2つです。


(過去世に関しては、真偽を問うことが難しいですが、わたし自身が統合に向かうために受け取ったガイダンスとして、読んでいただければと思います。)



浮上した5つの『過去世ストーリー』の中で、女性として生きたのがこの2つでした。


それも、ものすごく正反対な女性像です。


アダムとの過去世ストーリーでも両極端を体験していましたが、わたし自身の転生でも、両極端を体験していたのです。)




かたや、女性の幸せは追求せず、神と結婚し、他者への奉仕で一生を終えた女性

かたや、王の寵愛を受けるミストレス(寵姫)であり、多くの聴衆に愛されたコメディ女優。




前者は、裕福な家庭に生まれたにもかかわらず、7歳から神に純潔を捧げてストイックな修行に励み、

後者は、売春宿を営む家庭に生まれて、自らも10代から体を売って生計を立てていたところから寵姫となった。




本当に、見事な、両極端ぶりです(笑)


(そして、わたしが結婚したときの赤いドレス写真が、ネル・グゥインの魂そのままで写っていると教えていただいて、なんとも、不思議な感覚になったことがあります。)






以前、昔のわたしが自己矛盾』に苦しんでいたことをシェアしました。↓


********************


20代~30代の『私の内』は、『自己矛盾だらけ』でした。

片方の自分の行動を、片方の自分がジャッジし(責め)、

本質の、繊細な少女のような自分が傷つく。 という繰り返し。


◇自分の闇の部分が取る行動を、光の部分が嫌悪し、裁き、恥じる。

◇内なる男性性が暴走すれば、内なる女性性がそれを嫌悪し、裁き、恥じる。

◇奔放な女性性(遊女や娼婦だった過去生の影響)が取る行動を、 抑圧された女性性(シスターだった過去生の影響)が嫌悪し、裁き、恥じる。 

********************


最後の、下線を引いた部分が、今回の記事に関することです。





実際に、18歳から看護学校に入り『ナイチンゲールの世界』『奉仕』『教会的な思想』が好きでした。


それでいて、当時読みまくっていたのは『山田詠美』さんの本。

性に自由な世界観がものすごく好きで、当時売られていた全書を読んでいたのです。


表向きは「とても看護師っぽい」と言われながら、

夜の世界に遊びに行くことも好きでしたし、恋愛にもものすごく興味がありました。

(実際に当時は、周囲から『恋多き』・・・と思われてました。)


ですが、口説かれることを喜びとして、そっちに展開するよう進みながら、

実際は、心の綺麗な純粋な人じゃないと踏み込めず

夜の世界にたくさんいるような人たちは、内心怖くて仕方なくて実際に寄ってこられると逃げることを繰り返してました。


(なので、『恋多き・・』と言われていても、夫に出逢うまで、恋愛が楽しかった記憶が無いのです。笑。いつも学び&修行設定でした。)


そんな、矛盾だらけの20~30代前半。


以前、

「狩りに出かけていながら、実際に獲物を見つけたら獲物が怖くなって、追いかけられながら逃げるパターン。」

と表現したら、実はアダムもこのまんまだったそうです。

さすがのツイン。笑)




で、ですね・・・。


シエナのカタリナ のエピソードでも、

ネル・グウィン のエピソードでも、


2人の母親のエピソードが、今のわたしと母にシンクロしているのです。




シエナのカタリナに関しては、上の記事の『民話』の中で。


死後のカタリナは天国に居たにもかかわらず、悪態をついて地獄に堕ちた母親に付きそうように、自らも地獄に堕ちた


というストーリーが書かれています。



今のわたしと母は、このときの親子(の魂)だと言われたのです。



実際に幼少期。

母の発言(他者のことを悪く言うとか・・・)を聞いて、「なぜそんな事を言うのだろう?」と不思議に思ってましたし、母のそういう部分を嫌悪してました。


ですが、今生のわたしが、カタリナの時と違うのは、


・母にアンチテーゼを感じて、幼少期から一定の距離を取ったことと、

・晩年「魂それぞれの学び」だとして、「親子と言えども暮らしてる世界(次元)が違うということを腑に落として、別々の在り方を選んで暮らしてきたこと


です。




そして、ネル・グゥインのストーリーに関しては・・・

これが、また、今生、おもしろいくらいにシンクロしてました。




”売春宿” に関してです。




実は、わたしの祖母(母の母)姉妹は、大昔に水商売をしていて、

祖母の姉(わたしにとっては大叔母?)は、”置屋” を営んでいた人でした。


わたしが生まれた頃には、すでに閉めていたので、その風景を見たことはないのですが、

母が少女だった頃、叔母の家に泊りに行っては、置屋の風景を見て育ったといいます。




幼少期のわたしは、その大叔母の家に遊びに行くのが大好きでした。


なぜなら・・・


母屋の他に、部屋数がたくさんの置屋が空き家のままにあったので、

弟とかくれんぼするのに最適だったのです。



大人になってからずっと、大叔母は ”下宿” を営んでたんだと思ってました。

それが、まさか、置屋だったとは!



それらの部屋で色っぽいことが展開していたこともあった。とは露知らず・・

(後に母から聞きました)

弟と無邪氣に遊んでいた自分が笑えます(笑)



そんな事実をわたしが知ったのは、統合作業真っただ中の、数年前。



と、いうことがあって。



同じく、統合作業中には、父方家系が、女性霊能者家系だった。と判明したワケですが・・・



琉球のノロといえば、”聖職者” です。

(ユタのときもあったようですが、ノロだったと言われてます)




つまり、今生のわたしは、


・父方家系の『聖職者の血』

・母方家系の『性を商売にしていた血』


から成っていたんですね。




そういう家系(両親)を選んで生まれてきたのです。




”奄美大島” と”北海道” というだけでも、極端なルーツなのに、

”ノロ” と ”置屋” って、本当に両極端なストーリー・・・




今生のわたしが、いかに、陰陽統合をテーマにしていたかが、こんなところにも現れています。




そして、今回の帰省で改めて想い出し、氣づいたのですが、


父が母を見下す理由 & 母が自分を卑下する理由に、

聖職者の血と、性商売の血が、関係してたんですよね。


思い出したら、昔から、父は、母の親族をそういう視点で見下してました。

聖職者が、性商売を嫌悪する感じです。


(そして、これが、父娘関係におけるわたしのインチャに関係してました。これについては、別記事にて・・)


母が自分に自信がないのも、育ちに関係しています。



ですが、ネル・グゥインはそうではなかった。


自分の出自を恥じることなく、ユーモアと魅力に変えて生きていたのです。

過去世をひも解いたとき、そこがとても響いてきました。




そして、父が嫌悪していたそれは・・・


わたしの中の、


◇奔放な女性性(遊女や娼婦だった過去生の影響)が取る行動を、 抑圧された女性性(シスターだった過去生の影響)が嫌悪し、裁き、恥じる。


のフラクタルとなってました。




両親が、わたしの内面を投影していたようなものだったんです。 




ことごとく、『陰陽統合』をテーマとしたわたしは、統合作業を繰り返し、

昨年、無事に、清濁併せ吞んで生きる。に至りました。


(おかげで、アダムとの今があります)



こういうストーリーを越えて、今があります。というシェアでした。




両親との学びはもちろん、ここに来るまでのたくさんの方々との共同創造に、心より感謝しています。




ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。


愛♡感謝

りかこ&アダム