こんばんは。
このブログを訪れていただきありがとうございます。
連投の今回は、わたしと父の関係性を象徴する『運転フラクタル』に関してシェアします。
わたしと父にとって『車の運転』は、唯一、2人だけの繋がりを意味するものでした。
そして、面白いほどに『父娘関係のフラクタル』となってました。
看護学生の時に、東京でも乗れるようにと、あえて東京で、マニュアル車の免許を取りました。
(友人たちは、長期休みを使って、地元に帰って取っていましたが、わたしは東京でも乗れる状態でいたかったんです。)
ですが、寮生活の学生でしたし、
就職してからももちろん、車は持てませんでしたし、
当時の彼は過保護な感じで、わたしに運転させて練習させるタイプではなかったですし・・・。
結局、わたしが運転できたのは、長期休暇で実家に帰るときだけ。となりました。
免許を取って早々・・・・
運転期間にブランクが開く生活に突入したのです。
(それは、免許を取ってから30年間、今までずっと・・・)
わたしが、ここまで、久しぶりに乗るにもかかわらず、怯むことなく乗れる。という状態にあったのは、父のお陰でした。
30年前。
免許取り立てでありながら、実家の車はワゴン車で(笑)
視界良好なのはいいのですが、車体は大きいし、マニュアルのシフトレバーはバスのようにハンドル側についていて(笑)
教習所で習ったことが応用できないような、そんな始まり方でした。
ですが、どんな時も、わたしは乗り続け、父は助手席で監督し続けたのです。
もともと、口の荒い父。
怒号のように指示が飛ぶこともしばしば・・・
ここに書くと呆れられるので割愛しますが(笑)
わたしがあり得ないことをやらかしまくって、後ろに乗った弟が「絶対にもう乗らない!」と言ったことも・・・
(そんな弟も、昨年秋に10年以上ぶりにわたしの運転する車に乗ったときには、安心しきってました。まあ、アダムが一緒に運転してるからなのでしょうけど。笑)
また、父の指示が遅くなり、急にハンドルを切ったために、手に持ってたコーヒーを父が頭からかぶっちゃう。とか(笑)
とにかく、いろんなエピソードがありまくりなのですが、父はめげずに、毎回わたしに運転させてくれました。
・帰省するたびに、父が空港まで車で迎えにくる。
・わたしは、そのまま運転席に乗り込み、実家までの1時間弱を運転する。
・実家にいる間は、わたしがずっと運転し、
・帰京するときも、わたしが実家から空港まで運転する。
免許を取ってから、ずっとこれが続きました。
(夫が一緒に帰省してるときも、夫を後部座席に乗せて、こんな感じで帰ったことも・・・)
運転ブランクが数カ月ぶりでも、1年以上開いていても、同じように。
なので、「久しぶりだから運転が怖い」という感覚は、早い段階でクリアしていました。
ところが・・・です。
この運転には、もれなく、条件が付いていました。
「父が必ず助手的に乗っている」
ということです。
仮に、父が乗らない場合、父は母に「ついて行け」と指示し、母が助手席に乗りました。
つまり・・・
「りかこひとりでは、心配で乗せられない」
ということです。(それでもたまーーーに、ひとりで乗りましたけど)
そして、この父の在り方が・・・・
統合作業の中で『過保護』として浮上しました。
今から4年ほど前、『宇宙語』に関するセッションを受けた時、
わたしは、『自分の能力への自信の無さ』をテーマとして持っていました。
周囲のサイキック友人たちと比べて、自分の能力に自信がなかったのです。
そのセッションでは、
わたしが宇宙語を話すことで自分のハイヤーセルフのメッセージを降ろし、
セッションしてくださる方に翻訳してもらって、自分が話してることの意味を知る。
ということが展開して、
翻訳していただいたことは、父との関係を示唆してました。
「りかこさんは、最後まで自分でやらせてもらったことがないのね・・。100%を、自分の力だけでやりきった。という経験が少ないのね。それが自信の無さに繋がってるみたい。ハイヤーセルフがそう言ってる。」
心当たりがありすぎて、涙が出ました。
過干渉ではないけれど、過保護。
運転に限らず、昔からの父のことを想うと、そう表現するのがぴったりでした。
それは弟に対しても同様でした。
車の運転では、わたしが自分の判断でやるより先に、
・「ウインカー右に」と指示が出たり、
・雨が降り出したら、父が手を伸ばしてワイパーを動かしたり、
・日が暮れてきたら、父が手を伸ばしてライトをつけたり・・・
・駐車するときはわたしを運転席から降ろして父が駐車し、
・ガレージに入れるときも同様で父がガレージに入れる。
免許取り立てのころは仕方なかったにしても、
その後何年も、それが続いたのです。
いつしか、わたしもそれが当たり前となってました。
なので、数年前までは、給油口がどちらについてるかもわかってなかった状態です。
(わたしが乗るときには、ガソリンが十分に入れられてましたから・・・)
車のケアも、父は、わたしにさせませんでした。
わたしが車を洗うつもり。だと察すると、先走りして洗ってあって、
わたしがやることが無い。と言う状態。
(実は、肺疾患ですでに苦しくなってからも、こんな感じでわたしにやらせなかったのです。これには、父自身のトラウマが関係してたようですが、ここでは割愛します。)
そうして、宇宙語セッションを終えて、分離データがはっきりとわかったところで、
ある独自のワークを行いました。
それは、父だけではなく、当時、わたしの周囲にいた大切な人たちに向けて、
ひとりひとりにノートの1ページを割き、その人たちに感謝を書き並べて『精神的に自立する』ワークでした。
夫、両親、弟、爽太(スピリット)、ゆうちゃん(スピリット)、他、当時濃厚に関わっていたキーパーソンにむけて・・。
そうして父には、感謝を並べたあと、自然にこんな言葉が降りてきました。
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もう一人立ちできます。
どうか心配することなく、わたしの心のままに生きさせてください。
守ってもらわなくても大丈夫です。
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これは、今もノートに残っていて、日付は、2017年3月27日となっていました。
これがまた・・・びっくりな日付なんです。
この、ちょうど1年後、
2018年3月27日が、アダムとの再会準備としての看護師復職日となり、
更に1年後、
2019年3月27日が、ツインフレームへの執着を手放してアダムと出逢えるまでになった日でした。(アダムと出逢ったのはこの2日後)
(3月27日という日は、ツインフレームにとっても、アダムにとっても、記念日的な意味のある日なんです。)
そしてですね・・・
このワークの効果といっていいのか・・・
このワークをした3日後に、父が、元々の肺疾患を悪化させ、緊急入院しました。
(初めてのことでした)
奇しくも、その3日後にはわたしが帰省することになっていて、思いっきり、父が助手席にいない運転を体験することとなるのです。
(その時点では、実に7年ぶりの運転。何が理由だったかわかりませんが、しばらく、実家に帰っても運転する氣にならず、父に任せていました。)
空港から実家までバスで帰り、帰宅して早々、ガレージから自分で車を出し、
母を乗せて、父の入院した病院へ・・。
わたしが運転して見舞いに来たと知った父は、驚いてましたけど、
7年ぶりでありながら、わたしの中には当たり前な感覚があって、
それまでは父のために保護される娘を演じていただけだったんじゃないか。と思うほどでした。
そして、この時の帰省で、またまた驚きの現実創造を体験します。
東京に帰る日。
母の氣分転換を兼ねて、旭川まで汽車で出て、映画を観てから空港に向かったんです。
飛行機の時間との関係で、観ることが可能だったのが『美女と野獣』でした。
その中で、主人公ベルに対して父親が言うのです。
「お前を守っていたんだ・・・過保護だったけどな。」
と・・・
とたんに、共鳴涙があふれ、これがガイダンスであることを察知しました。
となりに居た母は、わたしが映画のストーリーに涙してると思ったでしょう。
ですが、わたしには、このセリフが、父との関係が変わった(過保護から卒業した)ことを知らせるメッセージとなったのです。
そこからは、過保護ストーリーは無くなり、
母の氣分転換のために助手席に母が乗る。という感じになってます。
父との同乗が最後となったのは、あの、2年前。
アダムと一緒に帰ったときでした。
唯一、空港の行き帰りだけ、父を助手席に乗せてましたが、
あんなに何十年も、あれこれ手出し口出ししていた父が、
実家と空港間の1時間弱、何も発さなくなったのです。
当時は、「わたしの運転が上手くなって、父も安心したのだろう」と喜びましたが・・・
それもこれも、アダムが一緒に運転してたから。でした。
以降、肺疾患での入退院が繰り返されるようになり、今はもう、ベッド上で過ごすだけとなってます。
そんな『運転フラクタル』も、いよいよ、終末が近づいてきて・・
先日の帰省時に、とうとう父が車の処分について言及しました。
(これまでは、乗れなくても免許返納を拒否し、車についても「りかこが帰省時に乗るから」と、維持することを希望してたのです。)
それが、手放すことを決めたようでした。
わたしに「処分していいか?」と聞いてきたので、
「来年の車検は通さなくていいよ。以降は、空港からレンタカーで帰ってくるから。」
と答えると、納得したようにうなづき・・・
わたしはわたしで、来年の車検まで父の肉体は持たないだろう。と感じているので、
自然な展開だと受け容れました。
ここで、まったくザワザワしない自分を確認し、
父娘関係のインチャが完全に癒えてることを再確認したのです。
あとは、グループソウルとして、父の魂が納得して寿命を迎えられるようにサポートするだけ。
血のつながった親子という関係性で、それをサポートするだけ。となってます。
『車の運転』という、わたしと父の関係のフラクタル。
父(という男性性)に守ってもらっていた時期を卒業して自立できたら、
アダム(という男性性)が一緒に運転してくれるステージに移りました。
興味深くも、長い歴史のこの展開は、わたしにとってはとても大切なストーリーです。
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム
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