(続)『命をいただく』ことに関して。

こんにちは。

このブログを訪れていただきありがとうございます。


今回は、『命をいただく』ことに関しての私見を書いてみます。






近年、『縄文回帰』が叫ばれるようになりました。



縄文時代が、平和に1万年も続いていたことや、

縄文人の精神性がとても高かったことなどがその理由となってます。




で、ですね。


「縄文人は狩猟民族で、肉食が当然だった。我々も肉食中心の生活に戻ればいい。」


とされてる情報を目にしたことがありますが、


わたしは、これはちょっと乱暴な(安易な)発想のように感じてます。




実際には、縄文人が狩猟していたのは冬の時期だけで、成長途中の小さなものは狩らなかったそうですし、

それ以外は、どんぐりなどの木の実や、魚貝を食べていた。という情報もありますし・・・

(貝塚が存在していることが、まず、物語ってますよね。)




実際に、数年前、スピリチュアルなご縁で、

『縄文人が食べていた原種のどんぐりを育てて食べる』

という活動をされてた方にお会いしたことがあります。


だいぶ記憶が薄れてますが、当時は「霊性を高く保てる食べ物」として、多くの方が興味を持っていたような・・・




『霊性高い縄文人』というところで言えば、


現代人のように、


「おいしく食べたいから」

「たくさん食べたいから」

「血統よいのが高く売れるから」


という


エゴ的理由で『食べるための動物を生ませ、育て、増やし、食肉加工する』


ということは、やっていなかったはずです。




縄文人が命をいただくときは、自然の中から。

自分たちの命を繋ぐためというシンプルな理由から。




ただ、それだけだったでしょう。





以前、わたしが四つ足肉を食べないことについて、


「もし、わたしに、残留思念を読み取る能力があって、『食べてほしがって食肉になった』肉を選び取れるなら、喜んで食べますが、わたしにその能力はなく、選び取れないので、最初からすべてを食べないようにしています。」


と書いたことがあります。



その理由は、昔、『シャーマン』に関して、


・自分の命があとわずかだと知っている(寿命が近い)動物は、人間に狩らせること(食べてもらうこと)を許可する。

・シャーマンは、それを感じ取った動物だけを狩り、それ以外の(死ぬことを望んでいない)動物は狩らない。


と、知ったことによります。




こんな感じで、縄文回帰 = 肉食 とは思えないのが、私見です。




むしろ、縄文回帰 = 生きとし生けるすべてのものとの調和 だと感じてます。




わたしもチキンはいただいてますし、人類が全員ヴィーガンになれば良いと思ってるワケではありません。

親族たちは四つ足肉を食べていますし、他者の肉食を裁くこともありません。




ただ、『命をいただくことに想いを馳せる』ことは忘れないでいたいと思うのです。




ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。



愛♡感謝

りかこ&アダム

カルテット (ツインスター&ツインレイ)/白い犬白い風

~肉体を持つ者と持たぬ者との『聖なる愛のパートナーシップ』~4つに分かれたひとつの魂(2組のツイン)が織りなす『愛と光に満ちた世界』~