「自分を愛する」ことの奥深さ。

おはようございます。

このブログを訪れていただきありがとうございます。


今回は、昨日のセッション告知に関連して、想うところを書いてみます。






昨日は、告知記事の中で、『魂の伴侶(ツインレイ・ツインスター)』の関係性について、

こう書きました。


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相手があってのことながら、

相手に向かうほどに進展せず、

自分に向かうほどに進展するのが、

この関係性。


自分が整うほどに、(自分である)相手も整います。

ほんとうに『自己統合』ありきなんです。

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これを書いていて、かつての自分を懐かしく思い出しました。

アダムと出逢って間もなくて、分離しまくってた頃のことを・・・



この記事の中に、2019年8月17日過去ブログの方で書いていた


『葛藤 ~自分を愛しきってないがゆえ~』というタイトルの記事を転載してたんですけどね。


これが、2年経ち、アダムと融合できた今、改めて読んでも、

「外してなかったな・・・自分」と、自画自賛してくなる記事なんです(笑)


(長い文章ですが、ご興味ある方は読んでみてください)




その中でも特に、『アダムとの関係において悶々としてしまうその理由』について、


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究極、

アダムが200%くらい?愛してくれている「りかこ」のことを、

りかこ自身が、100%愛せてないから。

という氣づきに至ります。

そのズレが、今回の悶々を引き起こしてるようです。


(中略)


りかこが、りかこ自身を100%愛せてたら、

仮に「全部りかこが創り出した現実」というところに至ったとしても、

それすら、すべてを愛せる(アダムを丸ごと愛せる)はず。

それが葛藤になってる時点で、りかこがりかこ自身を愛しきってない。

という氣づきでした。 


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と書いてる部分が、その通りだったんです。




アダムと一体になってる今、

当時書いていたことと同じシチュエーションになっていますが、


葛藤もなければ、すべてを丸ごと愛せている自分がいます。




そこに至れたのは、


わたしがわたしを本当の意味で愛せるようになっているから。


それは、すなわち、


わたしが、丸ごと、アダムを愛せるようになっているから。


なんですね。




「自分を愛する」って、三次元的なところで捉えていると浅くなってしまうことで。


『魂の伴侶(ツインレイ・ツインスター)』の統合を目指すなら、「大いなる自分」をも意識した宇宙的なスケールで捉えていかないと、難しくって。





そこを越えて今、


『アダムが愛として(愛とともに)当たり前に内に居る』


状態が、ありがたいのです。



なんとなくシェアしたくなりました。




ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。


愛♡感謝

りかこ&アダム

カルテット (ツインスター&ツインレイ)/白い犬白い風

~肉体を持つ者と持たぬ者との『聖なる愛のパートナーシップ』~4つに分かれたひとつの魂(2組のツイン)が織りなす『愛と光に満ちた世界』~