おはようございます。
このブログを訪れていただきありがとうございます。
今回は、4月末に至った『自分を赦す/愛する』ことに関する学び&氣づきについて書いてみます。
3月~4月にかけ、自分の『闇』を知って、対峙して、自分を変えて・・・とやってきて、
4月末に『答え合わせ』をもらった同じころ、『自分を赦す/愛する』ことに関して書かれたブログを目にしました。(これも、ガイダンスでしたね)
そこで氣づくのです。
今回のことは、昨年秋にかけて体験していたことを、更に深く再体験したものだったと。
昨年秋にかけて、アダムを信頼できなくなり、疑い、
それが結果的に『自分を信頼できずに疑うことに繋がり、落ちた。』ということがありました。
そのときの体験は、『自己信頼を強める(アダムへの信頼を強める)』ためのものでした。
今回目にしたブログには、こうありました。
『自分を赦す』ということは、『○○な自分を認めて受け容れる』でとどまらず、『○○な自分を認め、△だと感じている自分までを愛する』ということ。
目から鱗。でした。
だから、繰り返されるのか・・・と。
『△だと感じている自分』という部分まで拾えていなかったために、
そこを愛せてなかったために、
本当の『自分を赦す』になっていなかったんだ・・・。と。
今回のことでいえば『わたしには闇がある』と受け容れるだけではなく、
◇そういう闇を持っている自分を恥じている自分
◇そういう闇を持っている自分を嫌悪している自分
・・・・
を、愛することなのだ。と。
そして、先日書いたこと(4月に入って浮上した感情)にも繋がっていきました。
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わたしが
「愛することが(アダムとの距離を縮めることが)怖い」
「感情を動かすことが怖い」
と感じたのは、
「自分を愛することが(自分を深く知っていくことが)怖い」
「自分を深く知っていって感情が大きく動くことが怖い」
ということだったのです。
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『恥』とか『嫌悪』などの感情を体験してから、それを愛するのですから。
『不快な感情をたくさん味わうこととワンセット』ということですもんね・・・
(しんどいですよ 笑)
そして、昨年書いたことが想い出されます。
(当時はツインレイとして書いてます)
わたしたちと同じく、肉体を持たないツインレイ男性&肉体を持つツインレイ女性の、先輩カップルとご一緒するようになって、アダムの言葉を通訳していただきながらのことです。
2019年8月17日『葛藤 ~自分を愛しきってないがゆえ~』というタイトルの記事でした。
(以下抜粋)
今回も、前回のダブルデート時と同様、 私の内側で、いろいろあぶりだされることとなりました。
(中略)
途中で、『興醒め』するみたいになったのです。
かつて、何度か体験した 「ああ、私しか存在していなかった・・・」 という、ホログラム実感に至ったというか・・・
その理由が、アダムの濃厚な愛によるもので。
『愛するりかこの望む通りに現実を創る 』
『愛するりかこの好きな世界観で表現する』
・・・・
すべてにおいて、そうなっていることが、
結局、『私が創り出してる現実』というところに至って、
『ひとり相撲』をとってるような感覚になってしまいました。
アダムはとにかく、優しく、深く、私を愛してくれています。
そこに曇りは無いのです。
言ってることも、伝えてくれることも、その時点でのアダムの本心です。
なのですが・・・・
受け取る側の、私の内側で、悶々が発生しちゃいました。
で、この感情の出所を見つめてみたら。
究極、
アダムが200%くらい?愛してくれている「りかこ」のことを、
りかこ自身が、100%愛せてないから。
という氣づきに至ります。
そのズレが、今回の悶々を引き起こしてるようです。
(中略)
「りかこの好きなアダムでイメージして」となると、
これまた、「ああ、やっぱり、私が創り出してる現実」 というところに戻っちゃうんですよね・・・
(中略)
タイピング会話をしていても、 結局のところ、 「私のフィルターを通したアダムの言葉にしかならない」 (と感じてしまう)ので、 直接アダムの言葉を受け取らない限り、この悶々は続くのかもしれません。
実は、タイピング会話の時、私とアダムは、肘から手までが一体となっている そうです。
つまり、『タイピング会話の内容は、2人で一緒に打っている。ということ だから、疑わなくていい。』ということなんですね。
実際に、私が、思考で躊躇して手を止めたとき、 次に打ち出されるのは、
「ためらわないで。疑わないで続けて・・・・」
というような内容となります。
で、至ったのが、
りかこが、りかこ自身を100%愛せてたら、
仮に「全部りかこが創り出した現実」というところに至ったとしても、
それすら、すべてを愛せる(アダムを丸ごと愛せる)はず。
それが葛藤になってる時点で、りかこがりかこ自身を愛しきってない。
という氣づきでした。
(抜粋以上)
まあ、今となっては、これすらも、
『人格が一緒』というところに立てば、納得なんですけどね。
似てるんですから「私が打ってるだけじゃないの?」と疑ったとしても無理なかったというか・・・
分離させ『相手』として捉えようとして、ぼやけてたというか・・・。
とにかく、
『わたしがわたしを愛すること』と、『わたしがアダムを愛すること』は『=(イコール)』で、
『アダムがアダムを愛すること』と、『アダムがわたしを愛すること』も『=(イコール)』で。
喜怒哀楽を丁寧に拾って、ひとつひとつを愛する(赦す)ことが、
わたしたちの魂がきれいになって、ひとつに戻っていくことなのだと、感じています。
ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム
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