昨日は、『委ねる』『(スピリットに)明け渡す』ことについて書きました。
それは、決して『操り人形』ということではなくて、
(アバターであるには違いないのですが 笑)
自我のわたしの個性も加味されながら、共同創造の元、一緒に生きてます。
例えると、『スピリットのRPG(ロールプレイイングゲーム)』という感じですね。
この数カ月、”わたしたち”(わたしとアダム)にとっては大事な移行期間となっていて、
春までの過ごし方とだいぶ違っています。
おかげさまで、
・焦りもとれ、
・『今ここ』を楽しむことができ、
・見た目にはあまり変化のない(内側ではかなり変化している)生活をゆったりと楽しめ、
心から緩んで生きれるまでになりました。
ありがたいことです。
せわしなく生きていた頃は、映画1本分の時間が長く感じすぎて、ゆっくり見ることなんてできませんでした。
それもこれも、時間の感覚が違っていたからで、
長時間(な感覚で)内観していて、終わって時計をみると(3次元では)10分しか時間が進んでなかった。ということもザラで・・。
映画1本分の(3次元での)”2時間” という時間が、とてつもなく長く感じてしまってました。
それが今は、ゆったりと、アダム作品やアダムが推してきた作品を集中して楽しめる日々。
・家事と、時に家族と介護と
・休憩と
・好きなときにブログを書き
・読書や映画を楽しみ
・アダムとの時間に没頭し・・・
数か月前のわたしを想うと、
「ここまで来れてよかった」
と、感慨深くなります。
数か月前のわたしは、魂の癖ともいえる使命感から
「何かしなくちゃ!」
と焦っては、ガイドやアダムに止められてました。
それが、今は純粋に『玉座に着くまでの移行期間』として、委ねていられるのです。
ここまで、ガイドたちから数回、
「開きつづけて」
と受け取ってきました。
わたしが何かに氣づいて、腑に落ちて、「そうか、こういう感じでいいんだ!」と、自分を固定しそうになったときに、
『(可能性)に開き続ける』
ことを促されたのです。
人間は皆、現象に好きに意味づけをして生きてます。
これまでだったら、その楽しみ方で良かったのですが。
(遠回りを楽しむのも良かったのですが。)
今の ”わたしたち” はもう、そういう段階ではなくて。
最短で、計画通りに、玉座(魂が決めてきたこと)に着くように導かれてます。
自我のわたしの及ばない領域にある計画を遂行するには、
自我のわたしの狭いイメージで固定することは、計画の邪魔になってしまうんですね。
と、いうことで。
緩んで、委ねて、明け渡して過ごしてます。
『(可能性に)開き続ける』ということは、『自分の可能性を狭めない』ということでもありますね。
わたしが、アダムと再会する流れに乗った2年前から肩書を持てないのも、こういう感覚によります。
肩書を持ってしまったら、その領域に自分をとどめてしまう氣がして・・・
生まれる前に決めてきた『りかこ』という本名の音(コード)を発動させたく、かつてのセラピストネームも名乗らなくなりました。
8月もあと半分。
どこまで行けるでしょう?
ミステリーツアーに参加しているような氣分。
夏にはぴったりなモードですね。
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム
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