2月に入る頃、”有料老人ホーム入所” に向けて動き出しました。
そうして、先日書いたように、
『昨日考えていたプランは、今日になったら「リセット&方向転換」となって、
前日夜に予約したことを、当日朝にキャンセル。なんてこともザラ(苦笑)』
となり、
最後の1週間は、『パラレル移動』しまくりな感じになるのです。
・自分が話してたことや家族たちとのやりとりによって、その後が変わる。
・そのまま進むかと思っていたタイムラインから、簡単に移動してしまう。
・自分の内側(氣づきや、周波数変化)に合わせて、起こる現実が両極端に振られる。
特にラストの3日間は、壮絶でした。
諦めていた入院が決まる
→ 病院への出発直前に取り消される
→ 「在宅でもやむを得ないのか」と肚を括る。(わたしが夜勤を決めたのはこの段階)
→ 再度諦めてた入院が決まる
→ 入院となる
さすがに、「試されてるなぁ・・・(苦笑)」という感じ。
人間りかこは、その展開の波を乗りこなすことだけを考えていましたが、
俯瞰しているわたしは、
「こんなにもわかりやすく『パラレル』を移動するものなのか・・・」
と、興味深く眺めてました。
以下、めまぐるしく展開したことを時系列&箇条書きで書いていきます。
(長くなります)
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◇1月末
ケアマネから紹介された『有料老人ホームの紹介会社』2か所に問い合わせ
◇翌日
それぞれから返事がきて、めぼしい施設を選択する
2月に入って
◇2日
紹介会社と対面にて相談。
この時点で『11日に見学できる施設』を予約する。
※ただ、11日までにお義母さんの病状が悪化することすでに予見できていた。
◇3日
もう一つの紹介会社を通して『メディカル有料老人ホーム』の空があることを知り、
『5日に見学&面談』の予約を入れる。
※看護師が24時間常駐の施設であり、往診体制など条件が希望に一番近かった。
※「1日も早く決めないと・・・」という思いがあり、ほぼ即決だった。
◇5日
夫と2人で施設見学&面談を経て、その場で入所を申し込む。
同時に『11日見学予定だった施設』へキャンセルを入れる。
※この頃には、一切開眼せず、口だけを動かして飲食する状態。(飲み込みはできた)
◇6日以降
施設入所への手続き準備を計画する(検査に連れてく日程を組んだり、自宅での面談日を決めたり)
※この頃から、更に、お義母さんの状態が悪化していく。飲食量が減り、反応が乏しくなっていった。
◇8日
施設入所日が、2月19日(本来であれば昨日のこと)に決まる。
※この時点で、「申し込んだときの状態のまま、入所日までキープできるだろうか?」との懸念あり。
◇10日
口から摂取できなくなる。飲み込むことを全くしなくなり、口に溜めてしまう状態に。
微熱傾向となり、この辺りで脱水が進んでいることを実感。
※施設入所が厳しいことを察知し、病院での治療につなげられないか思案しはじめる。
◇11日
朝から発熱。
祝日で往診医に繋がらず、夫が実家へ出向いて救急車を要請する。
(そうすることで入院治療につなげたかった)
※救急隊が来てくれたものの「受け入れ先が決まったとしても夕方になるだろう」「搬送しても、かなり遠いところで、この状態なら入院させてもらえず自力で帰ってくることになる」と言われて、家族は搬送を断念。往診医に連絡取れないので、すぐに点滴されず、一晩様子を見ることに。
※この時点で、入所予定の施設に問い合わせ「発熱してたら入所は延期となる」旨を確認する。入院の希望が持てないため、なんとか脱水(&発熱)を改善してメディカルホームへ入所できるようにと思案する。(飲み込みは悪くなく、誤嚥性肺炎を起こしてる兆候もなく、熱は下がるだろうとの判断。)
◇12日
主治医(往診医)によって在宅での点滴治療開始
※お義母さんの熱は36度台に落ち着き、バイタルサインも安定。しかし、明らかに意識状態が悪化したことが分かる状態。
※飲食は一切させられなくなった。
※デイサービスは中止。飲食できないのでヘルパーへの依頼内容も無くなり、訪問看護以外のすべての介護サービス中止。
※入院はもちろん検討されず。(病院が見つからないだろうという理由で)
※この辺りで、”経管栄養” に切り替えることを考える。(施設では「経管栄養を管理できる」となっていたので。ただ、この時点では、家族は ”胃瘻造設” に抵抗あり。経鼻経管栄養を考えていた。)
◇13日
夫と2人で、(望みを繋ぎながら)19日入所予定施設のケアマネと、夫実家にて面談。
※施設ケアマネがお義母さんの状態を見て、かなり難しい感じに・・・(こちらも、そういう反応をもらうことを覚悟していた)
※この時点で「施設では、経鼻経管栄養は管理できない」旨をはっきり伝えられ、 家族が”胃瘻造設”を受け入れられるよう動くことに。
◇14日
お義母さんを車いすに乗せ、介護タクシーで検査に回る。
自分のメンテナンスに出かけて戻って、家族全員で ”胃瘻造設”について話し合う。
※この日、わたしがメンテナンスで抜けることを知っていたケアマネさんが、わたしが居ない間に家族全員に、”胃瘻造設” について説明してくれていた。わたしが戻った時には、家族の総意として”胃瘻造設”することが決まっていた。(本当にありがたかったです。)
◇15日
朝、昨日の検査結果が出て、主治医(往診医)から「極度の脱水と持病の糖尿病の悪化(高血糖)」「入院適応の重症度」と診断される。
往診医とそこの看護師によって、入院先の病院探しが始まる。
※コロナ禍でなかなか見つからない状況ながらも、わたしの中では不思議と「決まる」と確信。入院できるイメージのままに、すぐに、入院準備に取り掛かった。
※そうして、入院準備をきれいに終えたとき、「明日の入院が決まった」との連絡が入る。(周波数の先取り、予祝での現実創造を体現したということ)
◇16日
主治医から「10時半に救急車を要請して搬送してもらい、11時に入院。」と言われていたので、そのように準備していたら・・・
10時の時点で、主治医から電話があり、「入院先の病院から『コロナが発生して入院は一切受け入れられなくなった』と言われたので、救急車は要請しないように。在宅でやるしかない」と言われる。
※衝撃だった。「こんなにも簡単に、タイムラインを移るのか・・・」と。(その直前に家族とやりとりしていたことに心当たりがあったので。別記事で書きます。)
※この時点で、在宅で24時間対応してくれる往診医を探すことに。(ケアマネさんにも手伝ってもらい、思案するがなかなかうまくいかず)。
※その後ケアマネから「こっちでも情報が錯そうしてるんだけど・・」と、両極端なバッドニュース&グッドニュースが教えられ、更に試されてることを実感(笑)
・バッドニュース = 「コロナが発生したというのは方便で、実際には、入院を取り消されたようだ」(実際に、病院のHPを見て見ると、コロナが発生したのは数週間前で現在は入院受け入れを再開していると書かれてた)
・グッドニュース = 「先生の個人的な繋がりで入院できるベッドを確保されてるようだ」
※この時点で、わたしの内側に大きな氣付き&設定変更が起こる。グッドニュースの方に意識を合わせ続けて・・・
※この日の夕方主治医がインシュリン治療に踏み切る。わたしもそれに同感だったので、24時間対応の医師が決まらない内は、『わたしが夜勤をして看護する』よう肚を括る。
※この覚悟を主治医に明かしたら・・・また、コトが動き、その数時間後、主治医から「再度、明日、入院できることが決まった」との報告が入る。
「あなたも夜勤で無理しないように。明日には入院できるから。」との、優しい労いの言葉と共に・・・
(ここに大きな学びがありました。別記事にてシェアします)
◇17日
わたしが血糖&インシュリン管理しながら、0時から夜勤に。お義母さんは穏やかに朝まで経過。
10時半に予定通り救急車を要請。(要請者が多く到着まで待たされたものの)、病院へは30程の遅れ程度で無事に入院となった。
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わずか2週間ほどのことが、
まるで、数ヶ月のことのように感じます。
自分で書いてきたことを、総復習したようなこの期間。
すざまじかった・・・(苦笑)
ここまで書いた世界観と、
昨日の世界観の違いったら・・・・
昨日書いた『安堵感』がどれほどのものか、
伝わりますよね(笑)↓
この背景にあった大きなドラマ&学びについては、また次の記事でシェアします。
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム
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