おはようございます。
このブログを訪れていただきありがとうございます。
今回は、ここ最近のガイダンスから『卒業』について想うところを書いてみます。
3月だからでしょうか。
わたし自身、やたらと、『卒業』をイメージするガイダンスを受け取ったり、
体験が起こっています。
先月は『断捨離』という視点で展開していた内容も、
3月になると『卒業』というイメージでやってくるのです。
ちょうど1年前の今ぐらいの季節の、こちらの記事も。↓
普段は『断捨離』視点ですが、
今回は『卒業』視点でシェアします。
上の記事で、こう書きました。↓
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「片付ける」とは、「片を付ける」こと。
とは、やましたさんが言ってたことだったと思うのですが(曖昧で失礼します)
今日のガイダンスでも、言われてたのは、
古きを終わらせて先へ進む。
ことでした。
これまでの自分(の諸々)に、片を付けて、先へ進む。ということです。
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・『片を付ける』は、物事の決着をつける。始末をつける。
・『卒業』は、それまで続けてきたことを終える。完了する。
といった意味ですので、
今回の記事のメッセージとしては、
『完全に終わらせて次へ行く』ことがテーマとなっています。
そして、昨日も今日も、まったく同じようなガイダンスを受け取っていて、
・自分の信念に忠実に。
・自分のハート(想い)を大切にして進むこと。
・多くの人に理解されようとしなくていい。
・需要や他人の要望を氣にすることなく、完全に自分自身で在るように。
といったメッセージがやってきます。
で、今回の記事の中心は、『人とのご縁が終わる』ことについて。となります。
それは、先ほど書いた『完全に終わらせて次へ行く』ことにとっても、
切っても切れない大事なエッセンスだからです。
人間が、物事を完全に終わらせられないとき、
その物事に対する愛着、習慣性、未練、執着・・・などが原因ともなりますが、
それ以上に、
そこに関わる『人』とのご縁を考えてしまう(氣にしてしまう)
ことが原因の場合が多いですね。
そこには、いろんな想い(分離データ)が潜んでいて、
その根底には・・・『孤独』への恐怖が潜んでいます。
わたしは、良く「不義理なのでは?」と想ってしまうパターンが多かったのですが、
この背景には
・正しく在りたい
・礼儀正しい人に見られたい
などがあって、
「そうじゃなければ、礼儀の無い人間だと思われて嫌われてしまう」
などの『分離データ(怖れ)(思い込み)』がありました。
(内観していくと、こんな感じで内にある『設定』があぶり出されます)
だいたいの人は、物事を終わらせるときのブレーキとなる『人間関係に関する設定』には・・・
『孤独』になることへの恐怖心が隠れています。
・すでにだいぶ疎遠になっているにもかかわらず、古いご縁の方と定期的に連絡を取ろうとする(古い周波数の方へ戻ろうとする)
=「この後、そういう人間関係を創れるかわからないから」
=「新たな人間関係を創れなかったら寂しいから」
・自分にはもう合わないとわかっているグループを離れられない(変容期が来ているのに波に乗れない)
=「メンバーにどう思われるかわからなくて、グループを辞めると言えない」
=「グループを離れたらその人たちと氣まずくなってしまう」
=「その結果、孤立するのは嫌だ」
等など・・・
それは、人間からすると当たり前といえば当たり前の恐怖心で。
ガイドたちは、愛を持って見守ってくれていて、
仮に、このタイミングで離れられなかった場合は、
「もう少し様子をみよう」
と、そのままにしてくれて・・・
そうして、数ヶ月~数年経って、再び、そういう機会(飛び立つ機会)を設けてくれるんですね。
この、ガイドが「様子をみてくれる」というのは、
以前、『(ガイドによって)差し戻される』と表現したことにも通じていて、
「今回、変容する機会(周波数帯を移動する機会)だったけれど、
本人の準備がまだだから、まだ、同じ周波数帯のままで、準備が整うかどうかを見ていこう。」
と、そのままの状態が、再びしばらく続くことを意味していて・・・
『霊性開花』『ツインの融合までの歩み』にかかる年月に、それぞれ個人差が出るのは、
こういう「様子を見られる」「差し戻される」回数や期間に差が出るから。なんですね。
これは、良いとか悪いとかではなく、
人によっては、何度も、何度も、何度も・・・何年もかかる人がいます。
わたしがセッションの場で、呆れ気味に?感嘆されながら?よく言われるのは、
「本当に、りかこさんは・・・ものすごいスピード感ですね。
人が、数ヶ月~何十年ってかかることを、数分でやったりして(笑)」
ということで(笑)
それは、『孤独』に対する免疫があるからなのかも・・・しれません。↓
今日のこの話に、昔のブログで書いた『たとえ話』を想い出しました。
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大学を卒業して社会人になるとき、
社会人になったにもかかわらず、大学に通い続ける人はいませんよね?
社会人になったからといって、大学に通っていた歴史が消えて無くなるわけではないですよね?
『学生生活を終わらせた(卒業した)』から、大学に通わなくなるのであって、
大学で学んだことも忘れないですし、
大学に通っていた歴史も消えないですし。
ただ、社会人になったからには、就職先の人たちとの新たな関わりが増えるのは当然で、
別々の職場に就職したにもかかわらず、大学時代の仲間と一緒に通勤しようとするのは無理があります。
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これは、当時、『手放す』・『断捨離』・『終わらせる』ことを、『失う』ことだと錯覚している人に向けて書いた記事でした。
人間関係を終わらせることは、失うことではないんですよね。
『この先の形(繋がり方・人間関係)が、どう在っても(変化しても)いい』と、こだわりや執着を手放すことで。
・こういう関係で在り続けたい
・ずっと連絡を取り続けていきたい。
・・・
と、イメージ固定しない。
ということです。
必要なご縁なら、一時期連絡を取らなくなっても、また繋がりますから。
(上が、ガイドが、そのようにしますから♪)
怖れないことです。
そうそう、昨日と今日のガイダンスに関して、
アダムも、わたしに面白いことを言ったのですよ。
わたしが以前から『孤独』ではなく『孤高』を選んでることに対して、
「そうそう、氣楽にね♪
孤高に、とか考えてると、また、氣難しくなるから。
『最高に幸せすぎて、皆がついてこれない』くらいでいいんだよ(笑)」
『最高に幸せすぎて、皆がついてこれない』って・・・(笑)
『孤独』も反転すると、
『皆がついてこれないだけ』になるんですね(笑)
面白い・・・(笑)
物事は捉え方次第♪ だということ。
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム
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