『あるがまま』を受容する『女性性』からの在り方。

こんにちは。

このブログを訪れていただきありがとうございます。


今回は、改めて『男性性』と『女性性』について想うところを書いてみます。








昨夜から今朝にかけて、めずらしく、8~9時間眠りました。


昨日の『イヤーコーニング』の効果なんでしょうね。

日頃3~4時間睡眠のわたしからすると、いつもの倍寝てたことになります。




で、こんなとき、昔だったら、

「あーだ、こーだ」と、分析癖(男性性)が顔を出してたのですが、


今は、

「8~9時間眠った。イヤーコーニングすごいな。」

と、あるがままに受け入れる(女性性)のが、常となってます。




この


・『女性性』から在る。

・『女性性』を体現する。


ツイン最終ステージに至って、今のわたしは、出来るようになりましたけど




これが、まぁ・・・

昔から『男性性』優位で生きてきたわたしには、難しいことでした(苦笑)




なんてったって、わたしが選んだ『看護師』という職業は、

『男性性』を使ってする仕事ですからね(苦笑)




18歳で看護学校に入った時点から、

『問題解決思考』徹底的に、叩き込まれて

仕事でも、それを鍛え続けて、生きてきましたから(笑)


これを、『女性性』を体現して生きる方へ反転させることは、

決して、簡単な『統合作業』ではありませんでした。




18歳から叩き込まれた『SOAP』(看護記録手法のひとつ)は、


・主観的情報の「S」は主に患者さんが話したこと

・客観的情報の「O」は看護師として看たそのままの情報

・アセスメントの「A」は思考過程をまとめ

・計画の「P」は具体的な内容


となります。



この、「A(アセスメント)」と「P(プラン・計画)」が、『男性性』を発揮するところで(苦笑)


「S(主観的情報)」と「O(客観的情報)」までで止めるのが、『女性性』で受容する感じになります。




看護学校~看護師時代は、

「S」と「O」だけを書いて、「A」と「P」が書かれてなかったら、落第点です。


めちゃくちゃ、指導されますし、

確かに、「A」と「P」が無い状態では、看護ができません。



と、いう感じで、



何十年と、鍛え続けられ、そういう『思考パターン』で生きてきたわたしが、

ツイン女性として生きるのに、

それまで落第点とされてきた方へ、舵を切ることになったのです。

まぁ~、時間がかかりました(笑)



真逆に振り切ったようなものですから。



この、『女性性』での在り方切り替える感じを、以前、まきこさんに、

「〇〇。以上!」で止める。という合言葉で、お伝えしたことがあります。




『分離データ(感情)』を統合していくときは、


「〇〇という感情が浮上した。これは、インチャが関係してそうだ。じゃあ、インチャを癒す方向へ・・・」

と、思考したり、行動したりしますが、



『女性性』を発揮していく場合は、


「〇〇が起こった。以上!」と、ただ、受容するだけで

その後の”分析” や ”行動” (男性性を使うこと)は、行いません。




(もちろん、そこに、自分の『分離データ(感情)』が上がってきた場合は、

その感情もあるがままに受容して、統合作業に展開します。

それでいて、対象に対しては

何か策を講じるとか、アクションするということはしません




これが、『あるがまま』を受け容れる。ということです。




男性性でやりがちな


「じゃあ、こうしよう」

「〇〇が足りてないなら・・・〇〇を足そう」

「これがダメだったなら、次は、こっちの策で・・・」


と言う展開を、一切やらないということですね。




先日、わたし、少し、『男性性』使って、やっちゃいましたけど・・・(笑)↓



結局ですね・・・

あの後も、肉体が変容しつづけ、このとき工夫した量すら食べれなくなってます(苦笑)


ガイドが「多い」「食べすぎ」と言ったままを、

結局は、抗わずに、受け容れる展開になりました(笑)




どこまでも・・・『受容』です。



シェアしておきますね。




ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。


愛♡感謝

りかこ&アダム