それもこれも『フードロス』を無くしたいから☆(2)

こんばんは。

このブログを訪れていただきありがとうございます。


今回も、ひとつ前の記事に続きます。







ここ数年、周波数が上昇し、意識が拡大するほどに、

以前書いた感覚が、強まるのを感じています。↓


上の記事は、2020年に書いたものですが、

以降、意識を向ける範囲が、更に広がりました。




そして・・・氣になる『フードロス』です。




※普段、数字を意識して生きてるワケではないですが、

今回は、参考までに、貼っておきますね。↓




以前から、


・飲食店が展開している『チャレンジメニュー(激辛とか、爆盛りなど)』

・バラエティー番組での『全部食べるまで帰れない』企画

・早食い&大食いを競い合う番組

・『恵方巻き』など、”その日” を越えたら意味が無くなり廃棄することが明らかな ”企画品” 


などに、不快感を感じてました。


それは、人間りかこの感情で。

最近では、『怒り』すら感じるようになっています。




・「まだ、そんなナンセンスなことやってるの?」

・「食べ切れなくて残すことが明らかなのに?」

・「飲食店でそれをやったら、食べ残しは、もちろん(他の客には出せないので)廃棄前提だよね?」

・・・・


書き出したら、いくらでも出てきます。(苦笑)




わたし、ギャル曽根さんに関しては、怒りは湧かないんです。


・全てを食べ切りますし、

・美味しそうに、キレイに食べますし、

・何より、食材への、食べることへの、リスペクト(愛)が感じられるので・・・。




反対に、ものすごく『怒り』が湧くのは、バラエティーの、そういう企画。




「いったい、誰が、得するの?」という感じで・・・




チャレンジさせられてるタレントさんたちは、苦しそうですし、

(画面に映ってないところで、すべてを、スタッフが綺麗に食べていくことも、あるのかもしれませんけど)


それでも、『体が喜んでない食べ方』『嫌々食べる食べ方』は ”愛” がないですし、

その、過剰な分は、他の欲してる人に回してあげられるなら・・・等、


本当に、見かけると『怒り』が湧いてくるんです。

(普段そういう番組は見ないので、たまたま見かけた場合。のことですが・・・)




普段、

『貧困家庭への支援』とか、

『こども食堂』とか、

『食料危機』とか、

そういうニュースを取り上げながら、こういう番組も作り続ける、メディアの矛盾


《考えてるのは、ほんと、キャッチーさと、視聴率だけなんだろうなぁ・・・》と、

思ってしまうんですね。




で、今回、こんな風に、久しぶりに、人間りかこ としての ”怒り” があぶり出されてるのは、

実家での体験が、きっかけとなってるのでした。(苦笑)




実家での初日、『冷凍焼け』の食材などを確認していて。


母が、冷凍された2匹のカレイ(いただきもの)を出してきて、

「もう、これ、何ヶ月も経ってるので、処分する」

と、見せてきました。


傍からみたら、十分に食べれる感じで。


わたしが「料理したらまだ食べれる」と言っても、

母は、「実は、あまり好きでなくて、食べたくない」と言うのです。



わたしが食べれる身なら・・・

「わたしが食べるから大丈夫」と言い切ったんですけどね。


今の わたしは、責任持って食べれない身。

(こういうとき、もどかしいです)



目の前でそれを捨てる様子を見ながら、

ふつふつと『怒り』が湧いてくるのを自覚しました。

母にではなく



”こうなるに至った背景” を知って無かったら、母に、素直に怒れたんですけどね・・・(苦笑)



母が、以前から言ってたんです。


「1人暮らしで食べ切れない。」

「もらっても、料理して食べれない。」

「もらっても困る。」

と訴えても、


「まあまあ」「○○したら美味しいから」と、

魚釣り帰りに、玄関先に置いていってしまうおじ様がいて、困ってる。と。


(それが、今回も車の処分でお世話になってる人なので、やっかい)




なので、母の無責任さが 背景ではないことがわかってたので、

今回は、捨てる様子をそのまま受け入れるしかありませんでした。




そう、そのおじ様の無責任さに、腹が立ったのです。


《釣るなら、責任もって、全部食べて》

《「要らない。食べれない。」という人に、分け与えて満足するのは、魚の命を粗末にするだけのエゴ行為

《たくさん釣るのが楽しくても、食べられる量以外は、リリースすればいいのに》


黙々と、料理の下ごしらえをしながら、母にぶつけられない『怒り』を味わってました。




そして、先日、夫とやりとりした光景を思い出してました。


この時のことです。↓



いろんな家族が、釣りを楽しんでいて。


わたしたちの目の前に、2組の家族がいました。



1家族は、釣った魚を、ネットにいれて、海に浮かべてて。

(魚の新鮮さを保つため)


もう1家族は、釣った魚を、小さなバケツに入れてました。



そうして、日も傾き始め、帰り支度を始めるころ・・・



バケツに溜めてた数匹の魚を、全て、リリースし始めたのです。



夫が、

「なんだ、最後には、リリースするんだ!(驚!)

持って帰って食べるのかと思ってた。

だったら、バケツに入れて弱らせてからでなく、釣ってすぐに放してやればいいのに。


わたしも同様のことを想いましたが、

その家族が、リリースする前に、バケツの中を写していたのを見てたので、


「たぶん『今日の収獲はこれだけ』って、総量を写真に収めたかったんだろうね。」


と伝えると、夫も「なるほどね・・・」と納得していて。


(もちろん、目の前の家族には聞こえないほどの、ヒソヒソ声でのやりとりです)




まだ、この時は、リリースして命を粗末にはしてなかったので、このやり取りで済みましたけど、

今回、実家で体験したことと、相まって、


人間の娯楽のために、他の命が、粗末にされること。多々あるなぁ・・・》


と思うのでした。


(先の、バラエティーの話も、人間の娯楽のために命を粗末にすること。に繋がってます。)




もちろん、かつてのわたしも、たくさんやってきています。

(ただ、釣った魚は、全部、美味しくいただいてきましたが・・・)




今回の帰省では、母をお墓参りに連れて行って、

そこの周囲が一面、シロツメクサだらけだったんですね。


それを見て母が、

「昔は、シロツメクサを摘んで、冠、作ったりしたねぇ・・」

と、懐かしそうに言ったんです。



それは、

・少女の頃の母も、

・少女の頃のわたしも、

もれなく、体験したことで。



ただ、いたずらに摘んで、冠を編んで、一瞬遊んで満足したら、

その場に放置して帰った(あとは、枯れてくだけ)、子どもの頃のあの体験を、


今は、姪っ子にはさせたくない自分がいます。(苦笑)




意識って、変わる(成長する?)ものですね(笑)




と、いうことで。




『フードロス』について、想うこと。でした。




ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。


愛♡感謝

りかこ&アダム