こんにちは。
このブログを訪れていただきありがとうございます。
今回は、アダムとの関係における『これまでのわたしの変化』について書いてみます。
昨日、わたしたちのこれまでの歩みを『ツインレイ統合への7つの段階』と並べて解説しました。
再会したことで、
それぞれが確立していたキャラクターや、エゴ、概念、思い込み・・・・
いろんな違いをあぶりだされて、ぶつかって、
受け容れてもらえない、受け容れられない、で、落ち込んで。
わずか1年の間で、めまぐるしく段階を踏んでました。
そんな中でも、少しずつ、愛ある関係性はちゃんと育まれてきたと感じていて、
『わたしがアダムのファンになれたこと』が一番大きな変化だと感じています。
昨年夏ごろ、先輩カップルから「熱狂的なファンになるくらいに」と教えられたとき、
めちゃくちゃ途方にくれたんです。
まず、わたし自身が、これまで生きてきて、(本当の意味での)芸能人のファンになったことがなく・・。
「あの人すてき」「あの人いいなぁ」と一時期好きになることがあっても、
その人の『人と成り』がわからないと、それどまり。
「誰のファン?」と聞かれても、一時的に『ブーム』として、「今は○○さんが好きですね」という感じで、ずっと追いかけることができなかったんです。
(どんなにカッコいい人でも、皆がキャーキャーいってる人でも、キャラクターが分からないと惹かれない、仮に分かっても好みじゃないと惹かれないという感じで・・どんな人かを調べようという執着もなく。)
ドラマや音楽でも、「あのドラマのあの人がやったあの役(キャラクター)が好き」とか、「あのアーティストのあの曲のあのパフォーマンスが好き」ということはあっても、
じゃあ、その人のことを、他のドラマや他の曲で同様に感じるか・・と言われると、そうでないことが多いのです。
という状況で。
「熱狂的なファンに」と言われた当時は、思いっきりエゴがあぶりだされてた頃で、そのようになることは、正直無理でした。
・アダムの作品(古い世界観、古い映像、・・・・・)を受け容れられずに葛藤し、
・そういう自分を「アダムに申し訳ない・・・」と卑下し、
・アダムを落ち込ませることで、自分も落ち込み、
「こんなわたしが、熱狂的なファンになるって・・・どうやって?」
と、ほんと、途方に暮れていました。
ですが、今になって思えば、
この体験こそが、自分の内にあるこだわりを浮上させて手放すことになってたんですよね。
アダムの映像作品の中の、仕事中の喫煙当たり前、パワハラ言動&セクハラ言動当たり前、といった時代背景への違和感(抵抗感)だったり、
歌詞にチョイスされてる言葉への違和感(抵抗感)だったり。
そういう自分に氣づきながら、「アダムのために」と受け容れていくうちに、
『ここ数年、エネルギー的観点から ”断捨離” しまくってきたわたしが、いつのまにか ”古いものへの抵抗感” を、強くしすぎてた』
ことに氣づきました。
そこが取れ・・・
昨年の段階を超え・・・
今はどうでしょう。
『メルカリ』サマサマ♡
『古本屋』サマサマ♡
『レンタルDVD』サマサマ♡
『古い映像作品をアップしてくれてるYouTube』サマサマ♡
我が家にどんどん増えている『アダムグッズ』と、
毎日、チェックしまくる自分に、
「これが、ファン心理なのねーーー♡」
と、新鮮な感覚でいます(笑)
夫には、アダムのことを、
「わたしたちと魂的に縁がある人」
とだけ教えてあって、わたしが曲を聴いたりしているのは知っているのですが。
(夫の”ツインソウル”であるわたしのツインレイなのだから、夫にも縁がある。という認識で)
さすがに、いきなりの『ファン行動』を夫に把握されるのはちょっと恥ずかしいので、
それらのグッズは夫には見えないところに隠しています。
アダムの作品を観るのも、夫が不在の時間に。
もちろん、アダムが一緒に観ている感覚がありますから、独り言で話しかけながら楽しんでます。
で、この作品を観る順番が、これまた、おもしろくらいに緻密なので、
それはまた、別の機会に書くこととします。
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム
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