きれいに『フラクタル』

おはようございます。

このブログを訪れていただきありがとうございます。


今回は、先日までの体験記事を説明するような記事です。







お義母さんが入院した翌日(18日)、


「12月からの全てのことが、一つの『ドラマ』だった」

「『家族 対 わたし』=『わたし 対 主治医』のフラクタルになってた」

「12月からの展開は、すべて、わたしの内側の(学びのための)『投影現象』だった」


と書きました。



この後、


試された日々(1)

試された日々(2)

見事にわたしの『投影』だった。

後になって『氣づいてみれば』


の4つの記事で説明してきましたが、

今回は、『フラクタル』と書いた理由をシェアします。




この2か月半、義姉妹とのやりとりの中で、


・「感謝を忘れないように」


「人に頼ることも必要」


・「日々変化が速く、瞬間、瞬間、対応していくことが大事。

その時々で、それぞれのキャパで自分のできる精一杯をしていたのだから

過ぎたことを悔んだり、罪悪感を持たなくていい。

反省や振り返りは、あとでゆっくりすればいい。」


と伝えたことがとても印象に残っていて



これが、後に、ブーメランのように自分に返ってくるという体験をしました。



すべてが終わり、「主治医とのあれこれが、すべてわたしの投影だった」と腑に落ちた後のことです。



「感謝を忘れないように」と伝えたのは、


初期のころ、義姉妹が、ヘルパーなどの援助職に対して、

「やってくれて当然」「プロなのだから、もっとちゃんとやってくれなきゃ」

という思いを持っていて、


目の前の現象だけに囚われ

その奥にある援助者の「心」「氣持ち」を想い図ることが出来ていなかったときのこと。




それが、後に、


わたしの、主治医に対するスタンスそのままだった。


と、氣づいたときには・・・・


「ああ、フラクタル(笑)」


だと、笑えてしまいました。



(他にも、義姉妹がわたしに感じてた不満 = わたしが主治医に感じてた不満 とか、いろいろありましたが、割愛しますね)



「人に頼ることも必要」も、そのままの意味で。


今回は、わたし自身も「たくさんの援助者の方に頼る」という経験をして、

その必要性&ありがたさを学ぶこととなりました。


また、頼るのは、実際の人だけでなく、ガイド含む高次存在も意味してましたね。


目まぐるしく展開する状況を必死に乗りこなすだけのわたしに、

「共同創造を意識するように」

「自分だけでなんとかしようとしないように」

と、ガイダンスが降りたりもしましたっけ・・・。




そして、


「その時々で、それぞれのキャパで、自分のできる精一杯をしていたのだから

過ぎたことを悔んだり、罪悪感を持たなくていい。」


を、お義母さんの入院翌日、夫の言葉として聞くこととなりました。




自宅にいて、たっぷりの時間があって。

「12月からの全てが、自分が創り出してた現実だった。」

ということが、しみじみと染みてきて・・・




それまでは、目の前のことを着々と前に進めなければならないので、

どちらかというと、”援助者モード” ”医療者モード” だったわたしですが、


お義母さんを医療者に預けられたことで、安心して ”家族モード” に入れるようになり、

お義母さんを想って、泣けて泣けて仕方なくなってしまったのです。



・お義母さんの肉体に、こんなにも負担をかけてしまった

・言いたいことも表現できず、どれだけ、苦しく、辛く、怖かっただろう

・わたしが、あんな創造をしてしまったがために・・

・わたしの主治医に対するエゴが、お義母さんをここまで苦しめてしまったんじゃないか


等など。


(今、こうやって、その時にアクセスすると、同様に涙が浮かんできます)




前提として、


わたしだけが見ている ”投影現実” でのことであり、

お義母さん側から見た現実は違う。


と、分かっていても、泣けて、泣けて、仕方ありませんでした。




涙しながら、そんな思いを夫にカミングアウトしていると、夫が言いました。


「でも、その時々でできることの最善だったと思うよ。

あれ以上のことはできなかったよ。

今になってみれば・・・ということがあっても、その時に氣づくことは無理だよ。

りかこも、皆も、精一杯やってたし、悔む必要はない。

あれ以上のことは無かった。と思ってるよ。」




その言葉に救われながら、

内心、《 思いっきり、ブーメランで返ってきてるし・・・笑 》と可笑しくなり。


この、涙しながらの『感情体験』までが、このドラマでの学びなのだ。


と、悟りました。




そして、かつての『お話会』でアダムが言っていた


「『とことん、やり切った』というところまでやらないと、手放せないからね。」

「手放せないということは『まだ、それをやりたい』ってことだから。」


が、浮かんできたのです。




今回の件は、


わたしの魂の癖でもある『強すぎる使命感』『奉仕精神』を、本当の意味で終わらせるために

12月からの現実を創り出して『医療者モード』『援助者モード』をとことん体験した。


ということ。



実際に、今回の件で「これでもかっ」というくらいに、懐かしい医療技術&看護技術を体験し、


「もうやりたくない」

「もう、お腹いっぱい」

「もう・・・やらなくていい」


となりましたからね(笑)




『強すぎる使命感』『奉仕精神』を手放して、

心置きなく

アダムとの愛に生きる

玉座に座って赤ちゃんモードで生きる

スイッチできるようになる。


というのが、このドラマが展開された意図で。




その壮大さに圧倒されながら、

最後に完璧なところに着地した』ことに氣づいて、

これまた、感嘆してしまうのでした。

(別記事にてシェアします)




ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。


愛♡感謝

りかこ&アダム